2012年5月15日 (火)

介護施設と火葬場と霊園・・・結婚式場

最近、神根地区のあたりは霊園や介護施設ばかりが増えています。

畑などの広い調整地域が多いため、許可のでやすい介護施設や、広い土地が必要な霊園がつくられるのでしょう。

赤山も広い公園を整備するとともに、火葬場の建設が計画しています。

いっぽう、大宮・さいたま新都心といった新しい地域は、見沼という畑や自然地域とも隣接していますが、比較的新しい住宅地が多いからでしょうか、結婚式場がとても多い。

比較して、川口で見ても結婚式場は少ないし、神根地区なら尚更・・・。ああ、グリーンセンターがあるか・・・。

霊園や火葬場の必要性は感じるし、それが悪いことだとはいえないが、しかし、なんだかなぁ・・・。

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2012年5月 7日 (月)

縄文海進と4000年前の川口の様子

かつて埼玉には、大きな沼がありました。

まるで茨城県にある霞ヶ浦のように、大きな大きな沼。

見沼です。

fish

今はほとんど消えてしまいましたが、かつて見沼を含めるその周辺の地域には、池や沼が多数存在していました。

川口市西新井宿にも、かつては大きな池、姥が池がありました。

また、赤山城の周辺にも、いくつかの池・沼があり、竜神伝説や地名としてこん跡を僅かに残しつつも、いまや池・沼としての風景は、ほとんど残っていません。

かつて埼玉の奥地まで海だった、というのはよく言われることです。

神根地区にも多くの貝塚が残っています。

ということは、近くに海があったということですよね。

埼玉に残っていた沼や池は、かつての海の残照だったのでしょうか。

fish  fish

縄文海進というものがあります。

縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のこと(ウィキペディア)”で、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたといわれています。

海は、どこまで陸地に入り込んでいたのか。

気になりますよね?

日経BP社の下記サイトでは、地図で見ることができます。

・日本列島・海進地図(日経BP)

これを見ると、結構内陸まで、海が入り込んでいるのがわかります。

では、当時の川口市って、どんな感じだったのか。

fish  fish  fish

川口市は南部・西部の低地と、北部の台地が組み合わさっています。

台地は、大宮台地の先端部。

つまり、海辺の町だったわけです。

国道122号線を南下し、川口から旧鳩ヶ谷に入る辺り、長い下り坂になります。

川口の南部から東京にかけて、見下ろす形になります。高低差がある。

もしかしたら、このあたりは海への玄関口だったかもしれない。

想像つきますか?

きっと、こんな感じです。

Photo

これは、

・埼玉県立 歴史と民俗の博物館

に展示されている模型です。

「歴史と民俗の博物館」は、大宮氷川神社のすぐそば、北側にあります。氷川神社は、かつての見沼のほとりにあった神社で、おそらく当初は沼の神を祀っていたのだと思われます。

さてこの展示物、展示説明によると約4000年前の初夏の川口で、海に挑む縄文人だそうです。

何千年も前から川口には・・・神根地区には人が住んでいたんだなぁと、遠くとお~く、思いを馳せる。

歴史と民俗の博物館、非常にお勧めです。

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2012年4月27日 (金)

神根の野生動物

先日、新井宿駅のそばで、ハクビシンを見た。

たぶん、ハクビシン。

イタチのような胴長の生き物が、日光御成り街道を横切った。

背から尾にかけて白かったので、たぶんハクビシンだと思う。

川口市はだいぶ発展した土地だと思うけれど、まだまだ緑も残っている。また、最近野生の動物達が都会に回帰(?順応?)し始めていることもあり、以前では見られなかった動物が見られるようになった。

川口市内で以前行われた動植物の調査によると、市内で確認された哺乳類の野生動物は、ドブネズミ等を除くと、戸塚地区でニホンイタチが確認されたらしい。彼らの活動領域は水辺なので、あのあたりの川辺にいたんだろう。

野うさぎやタヌキなども期待されたが、見つけられなかったらしい。

が、その調査では見つからなかったようだが、川口市内にタヌキがいる(いた)のは確実である。最近では都内でも住み着いているといわれるタヌキ。川口にも、いる。あるいはいたはずだ。昔はいなかったというので、きっと最近になって川沿いに下ってきたんだろう。芝川のあたりを旅してきたのだろうか?

少し前の話だが、夜、私は奇妙な鳥を見かけた。場所は西新井宿。白っぽくて、大きい。そのシルエットはフクロウのように見えたけど、確証はない。とっさに持っているアイフォンを出して撮影したけれど、うまく撮れず、その鳥は飛び立って、夜の闇に消えてしまった。

2度ほどみかけたことがあるのだが、最近は見ていない。

あれは本当にフクロウだったのだろうか。

今は、どこにいるのだろう。

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2012年4月19日 (木)

リライト

このブログの内容に、以前から気になっていたところがあり、実は先ほど、多少手直しをしてしまいました。

ああ、すっきりした。

アクセス数も無いに等しいし、ま、問題ないでしょう。

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2012年4月17日 (火)

川口ジャンクションの事件と姥が池

少し前の話ですが、石神・西新井宿・神戸の近辺で、ある事件が・・・!

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国道122号線、川口ジャンクションの近くにラーメン屋があるのですが、そこで少年院に送られる(?)予定の少年が、護送車(?)から脱走した、と。

どうもラーメン屋でトイレを借りた際に逃走したとか・・・。

あそこにはラーメン屋が2つありますが、どちらでしょうか。

さて、こういったニュースがあるにも関わらず、近隣の人々に知らせが来たかといえば来ず(本当に近くに住む人には来たのかもしれないが)、犯罪情報官という指定した地域での犯罪・不審者情報をメール通知してくれるサービスに登録しているにも関わらず、メール通知も来ず・・・。

学校からの連絡網ではまわっていたようですが・・・。

もしかしたら脱走者が、家とかに来ちゃうかもしれないじゃないですか。でも連絡とか通知とか、とくに来ないのですねぇ・・・。

緊急地震速報もいいけれど、こういった事件の速報もあればいいのに・・・。

しかしながら、今回は事なきを得て、脱走したのは少年で、あっという間に都内の方へ行っていた様子。これが凶悪犯とかだったら、対応は何か違ったのでしょうか?

さて、話は変わりますが、その事件(?)のあった辺り。122号線と首都高が交差するあたりなのですが、かつてここに池があったそうな。

その名も姥が池。

dash  dash

このブログでも何度かご紹介した、稚児桜と姥が池の説話の伝わる、姥が池があったとされるのがこのあたり。

私の限りなくカンに近い推測によると、もう少し東よりかなと思うのですが。

稚児桜と姥が池の話を簡単に説明すると・・・

昔、日光御成街道をお殿様の一行が通った。

西新井宿に差し掛かったとき、何があったのか、殿様の稚児が乗った馬が急に暴れ、あっという間に振り落とされてしまった。

急いで医者に見てもらうが助からず、その稚児はなくなってしまった。

稚児を育てた乳母は悲しみ、近くにあった池に身を投げた。

というお話。

稚児を振り落とした馬をつないだ場所が駒が塚。亡くなった稚児を悼み植えられたのが稚児桜。乳母が身を投げたのが姥が池。姥が池の真ん中には島があり、弁天様が祭られていた。姥が池のほとりには、乳母を偲び姥塚を。

という感じ。

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姥が池はかつて、700坪前後の広さがあったらしいですが、江戸時代後半ではすでに形ばかりの池になってしまい、その後埋め立てられて植木畑になってしまったとか。

池の島に祀られていた弁天様も、その後個人のお屋敷に移され、さらにはその家も引っ越されてしまい・・・。

この辺りの土地も削られたり埋められたりで、昔の面影はずいぶんと減ってしまったのでしょうね。

見てみたかったです。浮かぶ島に弁天様があり、その近くに姥塚のあった姥が池を。

西新井宿・新井宿村は、江戸時代の文献を見ると、だいぶ水の確保に苦労していた様子。とすると、姥が池は大事な水資源だったかもしれないですね。

それこそ、姥が池という新しい井戸(水)を確保することにより、新しい井、新井という地名になったのかもしれないし。

考えすぎか・・・。

ちなみに・・・乳母も姥神様も、子どもの味方。脱走少年には何か重大な理由があり、乳母の霊がその逃走の手助けをしたのかも・・・なんてのも、当然、完璧に考えすぎです。

そういえば、姥塚はどこに行ったんだろう?姥神様は日光御成街道沿いにあるが、あれとは別ものだと思うのだが・・・。

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2012年4月 9日 (月)

道合について

前の記事で“道合”の古墳について書きました。

ここで、今さらですが、道合という場所について再確認してみます。

川口市のなかの、位置でいうと北より。

神根地区に属します。道合村→神根村→川口市、という変遷。

最寄の駅としては、埼玉高速鉄道の新井宿駅、もしくはJR武蔵野線の東浦和駅が近いと思うけれど、歩ける距離じゃなさそう。バスか、自転車を使うことになりそうだ。京浜東北線の蕨駅を使う人も結構多そうだとにらむ。

東を神戸、南を安行領根岸、北を木曽呂、西は在家と接している。

主な施設は、神根小学校、道合交番(これを含めていいのだろうか?)、北スポーツセンター、神根たたら荘(神根福祉センター)などがある。北中なども入るのかな?

道合を北と南に分断するように、外環が通っている。そして、東側が丘、西側が低地となっていて、その境目を縫うように見沼代用水が縦に流れている。私が前回、道合古墳かもしれないと考えたのは、ちょうどこのような地点だ。

私は道合や神戸のあたりがとても好きだ。

駅から離れているせいか、田畑や自然が、割と残っている。

そして、このあたりでは、個人の敷地や道端や畑の片隅などに、多くの小さな祠を見ることができる。

外環が通ることで多くの景観や自然、祠、地形が破壊されたと思う。それは残念で仕方がないのだが、まだ、残っている。

本当に貴重なことだと思う。

地域の皆さん、頑張って!応援します。

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2012年4月 4日 (水)

道合の古墳

神根地区の西新井宿と道合には、かつて古墳があったと伝えられている。
しかし、今となっては場所もわからない。

なぜ古墳があったということがわかるのかというと、県史の、しかも古い旧県史にそう記載されているからだ。旧県史を出典として、市史などにも記載されていている。

西新井宿と道合の古墳は、いったいどこにあるのだろう。

西新井宿の古墳に関しては、いくつかの推測をもとに
「ここかな?」
と思っている場所がある。が、それは別の機会に触れよう。

今回は、道合の古墳について考えたい。

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道合はかつての道合村。神戸や根岸に隣接していて、東に台地、西が低地になっている。(道合についてはこちら「道合について」)

さあ、道合の古墳を探してみよう。

とは言っても、私は古墳については、ど素人。特に知識があるわけでもない。

なので、ここから先に大きな、そして正確な発見があることは期待しないでほしい。

さて、道合の古墳の場所がどうしてもわからなかった私は、類似するものから推測することにした。
鳩ケ谷の仙元神社が古墳であったように、道合にも仙元祠があるのなら、それは古墳かもしれない。
そう考えてみた。

ちなみに、浅間神社の浅間を仙元と書く場合があるが、これは富士講などの信仰があった場合にそう呼ばれることがあるそうだ。これは浅間神社の方に聞いた。
地元密着の信仰があった場所であれば、そこは神聖な場所として古くから認知されていたのではないか・・・と、やや苦し紛れの推測である。

道合の近くにある富士塚としては、今は石碑のみしか残らないが、根岸(神戸)にひとつある。
ここはかつてすり鉢灸の行事があり、頭痛や火傷によく効くとされていたところだ。

確かに信仰があり、かつて富士塚(浅間神社)があったのだが、
仙元ではないし(条件はあっているようだけど)、。きわめて近いけれど。
ここは神根小学校のそばなので、勝手な推測をしてしまえば、例えば学校建設によって古墳が削られたと考えられなくもない・・・かもしれない。
可能性として捨てきれないかもしれないが、ここは保留にして別の可能性を考えてみる。

そこで古い地図にあたってみることにした。
そして、見つけた。

pass  pass

そこは丘の上にあって、西に低地をのぞむ場所だ。
かつてはさぞかし眺めも良かったことだろう。

その場所を訪ねてみたところ、小さな祠を見つけた。
しかし、仙元でも浅間でもなく、稲荷神社だった。

古い地図には、確かに、このあたりに仙元祠があるはずで、稲荷はもう少し北と、もう少し南にあるはずなのだが、この場所に稲荷がある。

そしてすぐ傍には大きな道。

祀る神様を変えてしまったのか、それともこの稲荷神社は地図の仙元とは別のもので、かつての仙元祠は道路建設で消えてしまったのか・・・。

どうにも行き詰ってしまい諦めようかと思っているところで、興味深い説話に出会った。

pass  pass  pass

今の道合・神戸の●●のあたりに伝わる説話だ。

上の●●が気になるだろうか。この場所には人が住んでいるため、古墳があったなんて気分を害されるかもしれない(だって、お墓だもん)。なので自主規制することにしました。

さて、ここは丘と平野の境目であり、このあたりの丘を登る道からは、大きな富士山が見える(或いは、見えた)。
この●●の山を崩したところ、人骨やらお賽銭と思われる古銭が発掘された。学者の調査と言い伝えから、かつてここには僧庵があったとされている。
その僧庵の裏手には墓があったのだが、そこからやや離れたところに兄弟塚と呼ばれる2つの塚墓があった、というのだ。

ちなみに説話は兄弟塚に関するものなのだが、それは古墳とは関係なさそうなので、また機会を改めたい。

2つの塚墓・・・これは・・・。
道合の古墳は、前方後円墳だったと言われている。
そして、古墳がやがて埋葬地とされることは、ありそうな話だ。

そしてこの場所の近くには、先の仙元祠があったはずだ。
古墳の上に祠が築かれるのもよくある話だろう。

現時点、時間不足でこれ以上調べることができていない。
しかし、いいヒントをもらった気がする。

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2012年3月27日 (火)

春の川口は、見沼沿いの桜が綺麗だ。

思えば昨年は桜どころではなかったものなぁ。

桜といえば、西新井宿の稚児桜。

今は枯れて、もうない。

江戸時代にはすでに枯れていたので、その姿を覚えている人もいない。

稚児桜の話は、お殿様の一行が御成り街道を通ったとき稚児が落馬。亡くなった稚児を悼み植えたのが稚児桜、悲しんで池に身を投じたのが姥が池・・・という話だが、姥が池もとうにない。

地形が変われば記憶も薄れる。姥が池があっただろうと思われるそこは、今では国道122号線と首都高がクロスする。静かな悲しい面影は消え、排気ガスと騒音が残る今の道。

何だか悲しい。

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2012年3月 7日 (水)

石神の地名

地名が面白い。

「地名には、過去の先人たちの知恵により、情報が詰め込まれている」という話を聞いた。

地名といっても、大きい範囲を扱うものは、あまり面白みがない。

例えば東京都の足立区。かつてそこが足立郡だったために付けられたらしいが、実際、足立区は足立郡のほんの南端。本来であれば埼玉県の大宮あたりが中心地のはずだ。

なので、地名は小さければ小さいほど、その土地に対しての情報が濃くなる。

・・・らしい。

ということで、何気なく小字を見ている。

川口市の神根地区に、石神という大字がある。かつての石神村だ。

その石神には、雨堤や叺原という字がある。

雨堤・・・読んで字のとおりだと思う。

叺原・・・叺は袋の一種らしい。袋は、池袋などもそうだが、水がたまる場所で使われるらしい。

・・・らしい、思う、ばかりで申し訳ない。すべて推測です。が、なるほど、このあたりは低地が入り組み、水がたまりやすい場所なのかもしれない。

さすがに現代では実害はほとんどないと思う。

水も、今ではたまらないかもしれない。住むにも困らない場所と思うが、しかし、かつての昔はそんなことがあったのかもしれない。

地名は奥が深い。

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2012年2月21日 (火)

ざんねん!!

先日、といってももう2週間以上まえですが、2月4日に川口市で開催された日光御成道のシンポジウムに行ってきました。

鳩ヶ谷の郷土史家の方だと思うのですが、御成道の道筋が今とは違う、というのは知らなかったので、とても興味深かった。

それにしても、次回3月のイベントも申し込みたかったが、期限が2月19日までだった!失念した。

残念・・・crying

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