神根地区の西新井宿と道合には、かつて古墳があったと伝えられている。
しかし、今となっては場所もわからない。
なぜ古墳があったということがわかるのかというと、県史の、しかも古い旧県史にそう記載されているからだ。旧県史を出典として、市史などにも記載されていている。
西新井宿と道合の古墳は、いったいどこにあるのだろう。
西新井宿の古墳に関しては、いくつかの推測をもとに
「ここかな?」
と思っている場所がある。が、それは別の機会に触れよう。
今回は、道合の古墳について考えたい。
道合はかつての道合村。神戸や根岸に隣接していて、東に台地、西が低地になっている。(道合についてはこちら「道合について」)
さあ、道合の古墳を探してみよう。
とは言っても、私は古墳については、ど素人。特に知識があるわけでもない。
なので、ここから先に大きな、そして正確な発見があることは期待しないでほしい。
さて、道合の古墳の場所がどうしてもわからなかった私は、類似するものから推測することにした。
鳩ケ谷の仙元神社が古墳であったように、道合にも仙元祠があるのなら、それは古墳かもしれない。
そう考えてみた。
ちなみに、浅間神社の浅間を仙元と書く場合があるが、これは富士講などの信仰があった場合にそう呼ばれることがあるそうだ。これは浅間神社の方に聞いた。
地元密着の信仰があった場所であれば、そこは神聖な場所として古くから認知されていたのではないか・・・と、やや苦し紛れの推測である。
道合の近くにある富士塚としては、今は石碑のみしか残らないが、根岸(神戸)にひとつある。
ここはかつてすり鉢灸の行事があり、頭痛や火傷によく効くとされていたところだ。
確かに信仰があり、かつて富士塚(浅間神社)があったのだが、
仙元ではないし(条件はあっているようだけど)、。きわめて近いけれど。
ここは神根小学校のそばなので、勝手な推測をしてしまえば、例えば学校建設によって古墳が削られたと考えられなくもない・・・かもしれない。
可能性として捨てきれないかもしれないが、ここは保留にして別の可能性を考えてみる。
そこで古い地図にあたってみることにした。
そして、見つけた。

そこは丘の上にあって、西に低地をのぞむ場所だ。
かつてはさぞかし眺めも良かったことだろう。
その場所を訪ねてみたところ、小さな祠を見つけた。
しかし、仙元でも浅間でもなく、稲荷神社だった。
古い地図には、確かに、このあたりに仙元祠があるはずで、稲荷はもう少し北と、もう少し南にあるはずなのだが、この場所に稲荷がある。
そしてすぐ傍には大きな道。
祀る神様を変えてしまったのか、それともこの稲荷神社は地図の仙元とは別のもので、かつての仙元祠は道路建設で消えてしまったのか・・・。
どうにも行き詰ってしまい諦めようかと思っているところで、興味深い説話に出会った。

今の道合・神戸の●●のあたりに伝わる説話だ。
上の●●が気になるだろうか。この場所には人が住んでいるため、古墳があったなんて気分を害されるかもしれない(だって、お墓だもん)。なので自主規制することにしました。
さて、ここは丘と平野の境目であり、このあたりの丘を登る道からは、大きな富士山が見える(或いは、見えた)。
この●●の山を崩したところ、人骨やらお賽銭と思われる古銭が発掘された。学者の調査と言い伝えから、かつてここには僧庵があったとされている。
その僧庵の裏手には墓があったのだが、そこからやや離れたところに兄弟塚と呼ばれる2つの塚墓があった、というのだ。
ちなみに説話は兄弟塚に関するものなのだが、それは古墳とは関係なさそうなので、また機会を改めたい。
2つの塚墓・・・これは・・・。
道合の古墳は、前方後円墳だったと言われている。
そして、古墳がやがて埋葬地とされることは、ありそうな話だ。
そしてこの場所の近くには、先の仙元祠があったはずだ。
古墳の上に祠が築かれるのもよくある話だろう。
現時点、時間不足でこれ以上調べることができていない。
しかし、いいヒントをもらった気がする。
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